おのぼり三国志―中国資料館―

「三国志マンガ描くのに資料がいるの」
を言い訳に何度となく各地を徘徊し、重たい一眼レフで写真を撮り続けました。
あまり努力家ではない上に、もともと内向的な性格(何!?)なので、バックパックなどという根性のいる旅行は何度もできるはずもなく、多くは可愛いパックツアーです。
パックツアーって人が集まらないと催行されないので、成都―西安の蜀の桟道ツアーなどの秘境は、何度かチャレンジしたのですが、今のところ惨敗中です。(マイナーな秘境専門旅行社などに行くほうが催行されやすいだろうな、とは思うのですが、わたし行き先はマイナー嗜好でも、旅行社は大手好きなんです。)
というわけで、2003年現在の努力の結果を以下にまとめました。
写真を見るときの参考にしてください。

大きめサイズの画像を少しだけご用意しました。
各画像からリンクさせているのですが、砂漠でお宝をさがすように少ない量なので、
手っ取り早く大きめ画像を見たい方は大きめ画像一覧のページで御覧下さい。

写真は素材としてご利用頂けます。
ご利用を考えていらっしゃる方は
写真素材利用についてのお約束(1月30日変更)を御覧下さい。
掲示板設置しました。ひとこと残していただけると嬉しいです。

中国地図

  • 2002年8月
    上海→景徳鎮→黄山→屯渓→県→上海
    きれいなお山と古い町並みが見たくて某大手旅行社のツアーに参加。
    ぽしゃるのが嫌だったので「このツアーで催行されそうな日を予約します」といって、きっぱり一番高いお盆の日をGET。
    会社の夏休みはシフト制なのに、何が悲しゅうてこんな一番高い日に・・・。
  • 1996年5月
    北京
    どっかに行きたーい、と思いながら、休みが取れなかったので、3泊4日の個人旅行。
    航空券とホテルだけ日本で手配して行ったので、諸々の雑用も一人でこなすことに。
    それはそれで面白いんだけど、3泊4日じゃ、観光時間が潰れちゃいます。くー。
  • 1994年11月
    上海→重慶→三峡(鬼城、白帝城、小三峡)→宜昌→張家界→王村鎮(芙蓉鎮)→天子山→常徳→長沙→上海
    当時まだ張家界がそれほどメジャーじゃなくて、やむなく秘境専門旅行社を利用。
    出発前から「"張家界―上海"の飛行機が取れなくて一日行程がのびました」と言われ、予定外の常徳一泊が追加された。結局張家界―長沙間をバスで揺られることになりました。きゅうきゅう詰めのバスだとかなりツライです。
  • 1992年8月
    上海→武漢→蒲圻(赤壁)→荊州(沙市)→当陽→襄樊(古隆中)→武漢→上海
    蜀の桟道を見に行こうとして挫折、旅行社のお兄さんがわたしが三国志好きと見てとって、このツアーをすすめてくれた。
    と言っても半分以上行ったことがある場所だしぃ、としぶりつつ、でもどこにも行かないのも悔しいしと参加。
    当時はこれでも秘境だったらしく、添乗員さんは「わたし、秘境専門なんです」とおっしゃっていた。
  • 1991年9月
    上海→西安(五丈原)→上海(蘇州)
    上海・西安のフリータイムコースのオプションに五丈原一日ツアーがあるのを発見。
    友達を甘い言葉で誘って参加。
    しかし五丈原は遠かった。丸一日かかって見に行った場所がへんぴな武候祠ひとつ。
    三国志に興味のない友人達はこの旅行って何?と思ったことだろう。すまん。
  • 1988年7〜9月
    香港→広州→成都→漢中→西安→洛陽→襄樊→武漢→北京→昆明→成都→重慶→三峡(小三峡)→宜昌(当陽)→南京(鎮江)→上海
    怖いもの知らずで突撃したバックパック旅行。
    最初に田舎へ突撃したせいで、中国語の雨にノイローゼになって、寝言で中国語しゃべっていたらしい。
    旅行することに慣れて来た頃にはお金がなくなっていた。
    結果として実に粗雑な旅行になってしまったことは否めない。
  • 1986年8月
    香港→広州→成都→重慶→三峡→宜昌→広州→香港
    今ではその日のうちに到着できる成都も、当時は香港から入るのが普通で、この観光量で8,9日かかった。
    旅行社のお兄さんには「こんなコースに参加するのは100人にひとりですね」と言われたものだ。(海外旅行する人のうちの100人にひとり? 中国行く人のうちの100人にひとり?)
    大手旅行社のツアーに参加したにも関わらず、成都―重慶の飛行機が取れず、夜行列車で移動することになった。
    当時はそれくらい中国人は仕事する気がなかったのだろう。
    そんな不手際に誰も驚きもしなかった。


左は長沙の博物館の入場券
1972年に発見された馬王堆漢墓の出土品がおさめられている見ごたえあり過ぎの博物館。
前漢時代、長沙の利蒼の奥さんの墓ですが、
出て来たミイラがまだ柔らかな弾力があったことで大騒ぎになりました。
1994年のツアー時、飛行機の切符がとれなくて、立ち寄った長沙。
しかもずーっと道中渋滞で、到着したのは午後3時頃。
で夕刻上海行きの飛行機に乗るので、観光時間なんかあるはずもなく、
ホテルでツアー最後のごちそうが待っていただけだった。
で、
「お願いだから見のがしてー!!!!」
とひとりごちそうをすっぽかして博物館へ行って来た。
ごちそうより
ミイラ。
絶対。